2016年02月25日

古い家の解体は

「故郷の廃家」という歌があったが
現実に私の田舎の家がそうなるとは
夢にも思わなかった。
posted by 悪を切る父ちゃん at 16:35| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2016年02月22日

トルストイの有名な言葉「幸福な家庭はどこも同じだが、不幸な家庭はそれぞれ違う悩みを抱えている…」

トルストイの有名な言葉
「幸福な家庭はどこも同じだが、不幸な家庭はそれぞれ違う悩みを抱えている…」
家族っていったい何だろう?
自分から望んで生まれていないのに、
たまたま同じ両親の間から生まれてきたという理由だけで
兄弟姉妹となり、
一生、重い鎖につながれてしまう・・・
この束縛、呪縛の重さは計り知れない。
マリアナ海溝より深く、エベレストよりもはるかに高い。
それは、この地上に太古の昔から現在まで綿々として続き、
100億の家庭があれば、そこに100億の耐えきれない苦しみが発生し、
そして100億の深い悩みがある。
それに引き換え、幸福の数は
誰にも
わからない。
posted by 悪を切る父ちゃん at 22:25| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

今、ジブリの癒しのメドレーを耳にしながら・・・

久しぶりに、本当に久しぶりに・・・
のんびりと短い休暇を佐倉の茅屋で妻と過ごしています。
東の窓を開ければ、隣の広大な庭。
白い梅に
ピンク色の桃の花が
あたりいっぱいに
広がります。
ここは東京の郊外、佐倉の郷なのです。
佐倉の空気は、歯でかみしめられるようにうまい。
草花も勝手にどんどん成長してきりがない。
肥沃な土地なのだ。
鳥たちはどこまでも蒼い大空を自由に滑空し、
さえずり、ざわめき、そうしていずれともなく
去っていく。
私たちは、横浜から引っ越してきて、はや
28年が過ぎようとしている。
その間、実にいろんなことが起きました。
喜怒哀楽。
人生は
ななころびやおき・・・
いいえ
はちころびきゅうおき。
死んでも
死にきれない・・・。
やり残してきたこと、数多し。
やらなくてもいいことも、数多し。
しかし
何もしなくなると、人は
生けるしかばねとなってしまう。
生ける屍。
それではあかん。
そう思います。
死んだまま生き続けるなんて、人間おわりだ。
生きてる甲斐がない。
おぎゃあと、
この世に産み落とされたからには、
人生をなんとか、全うしないと
ばちが当たると違いますか?
私たちを生み、育ててきた両親になんて報告しますか?
「生まれてきてすみません」
違うでしょう!
「生んでくれて有難う!もう66年間も生き続けています。
どんなことも、粋も甘いもかみ分けてきました・・・」
これからが勝負です。
何があっても、先祖代々の遺産を
守らないといけません。
posted by 悪を切る父ちゃん at 11:34| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2016年02月21日

やはり神様は救いの手を私に差し出した。時間はほとんどない。困り果てていた私。集合時間まで、あと5分!下痢と腹痛に悩まされ、精魂尽きていた私。もう諦めの心境。祈るしかないと思った。神よお助けください!

「這ってでも来い!」
よく言われる言葉。
「死ぬきになれば、なんでもできる」
果たして、そうだろうか?
ふつう、誰もそんな風に考えて行動してはいない。
しかし突発的な事故は往々にして肝心な時に発生するものなのだ。
2月20日(土曜日)永田町で経験した、
の日の素晴らしい出会いを私は一生忘れない。
救いの手を
差し伸べられたのだ。
「〇〇 心頭滅却すれば火もまた涼し」
「岩をも通す。神通力」

やはり神様は救いの手を私に差し出した。暴風雨に襲われた首都東京。その嵐の中を私は永田町へと突進。何とか永田町の駅にたどり着き、改札口を飛び出したものの、そこで途方に暮れてしまった。行先の第一級のホテルに、どう行けば最短時間で辿り着けるのか困り果てていた私。集合時間まで、あと5分しかない。下痢と腹痛に悩まされ、くたびれ果てている私。もう諦めの心境。神よお助けください!祈った私のすぐ目の前を、なんと、偶然にも、パトロール中の警官が二人現れ、今にも横断歩道を渡り切ろうかとしていた。彼らが道路を渡ったら私は一貫の終わり。すべて泡となって消えてしまうだろう。妻ちわが子たちになんと言って詫びればいいのだろう?申し訳ない。おしまいだ。こうあったら、やるだけだ。私は、道路の向う側に今にも消えようとしている二人の警官を、ありったけの力を振り絞って呼び止めた。周りの通行人たちが驚いて飛び上がるほどの素っ頓狂な大声で、私は、呼び止めた。
しかし、時の暴風雨と数多い車の騒音で私の悲痛な叫びは届かなった。
もう終わりだ、万事休す。
松永、お前の綱渡りの人生はこれで終わりだ。
言い訳はもうできない。
ついに終焉の時の時を迎えたのだ。
時間は、さすがのお前にも止められない。
しかし、時は・・・止まったのだ。
奇跡はまた起きた。
奇跡的に、私は、ここまで何度も命を救われてきた。
こうなったら、神を信じる。
1ドル紙幣の裏面に印刷してある文言「In god we trust」
その心境。
警官が犯人を呼び止めるのが普通なのだが・・・。
そして奇跡は再び起きた。
ひとりは横断歩道を渡ってしまい、角を曲がる寸前。もうだめか?
ところが、二度目に叫んだ私の救いを求める声は、断末魔の声だったのだろう。
二人目の警邏中の警官の耳に届いた。
あとから考えたのだが。
実のところは、あまりにも大声で助けを求めて叫び続けるので、
近くを通っている通行人が、何事か起きてしまったのか、と危険を感じて、
警官を呼び留めたのだろう。
困っている人を助けるひと、は、どこかにか必ずいるものだ。
こうして、
警官が私に呼び止められて、職務質問ならぬ〇〇を受けた・・・。
posted by 悪を切る父ちゃん at 09:24| 千葉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2016年02月11日

あの大スターだった清原は、巨人に移籍してから同僚にマリファナを・・・

大スターだった清原も、さすがに西武から巨人に移籍してからというもの、
強烈なストレスで苦しんだのだろうか、
あろうことか、
同僚の選手(〇〇)に、マリファナを売ってくれと頼んだ。
その選手はマリファナは手に入らないが、XXなら、何とかなると答えた。
そして、名古屋に数でいる普通の女から薬物を入手する手はずをとってしまった。
うーん。
そこでやめれば、清原は逮捕されるようなこともなかった・・・。
げに、恐ろしきは、ストレス。
薬物に頼るようでは、本物ではない。
本物の天才、王貞治の猛烈なバッティングの練習、8畳の畳の部屋で、
何千回と行った素振りの跡。
畳の表がすり減り、見事にめくれあがってしまい、まともに
歩けないほど傷んでいる。
その部屋は、そのまま、永久保存され、後輩に見せて納得させているという。
清原、罪は重いよ。
日本中の野球少年達がショックで、笑顔を失ってしまった。

posted by 悪を切る父ちゃん at 09:19| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

今日は建国記念日、いい天気、明るい未来が見えてきた!

ファイナルファンタジーの音楽を聴きながら、
このブログを書いています。
posted by 悪を切る父ちゃん at 08:57| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

空港父ちゃんです、生きていますよ!しっかりと地面に足をつけて・・・

空港父ちゃんです、しばらくこのブログを更新することが出来ませんでしたが、
嬉しいことに、あの世から生還、甦って、ここにこうやってパソコンに向かい、
恥ずかしげもなく、拙い一文を認めています。
とにかく、なんとか、生きてます。
神様は実在します。私を危機から救う神様。または家族を守る神様。仏さまかも?
生まれてこの方、私は危機の中で生き続ける運命でした。
いったい、なんのために?そして誰のために、これほどまでに苦しみながら、
生き続けなければならないのか?
永い間、その答えが見つかりませんでした。
物心がついたころ、故郷の裏庭に聳え立つ400年?は経た巨大な老木、
柿の木のてっぺんから転落し、危うく地面にそそり立つ孟宗竹の切り株に
体を射抜かれ一命を落とすところを、祖母の≪セイばあちゃん≫が私の身代わりになってくれたのです。
断末魔の悲鳴とともに、天から落下してくる私を見た祖母は、神になっていました・・・。
持っていた愛用の大型の鍬や薩摩芋がぎっしり詰まっていた竹の網かご、その他、すべてをかなぐり捨て、
脱兎のごとく、すっ飛んできたのです。その速さ、まさに神業。
ただよかったのは彼女、6尺=180センチを優に超える稀代の大女、九州一の巨人と揶揄された
今でいう、伝説の、レジェンドでした。
ギリシャ神話でいえば、あの女神。名前は出てこない。脳細胞がかなり弱っているから・・・。
当時、昭和24年生まれの私は、3,4歳。
かなり後からわかるのですが、≪セイばあちゃん≫とは血がつながっていませんでした。
このことが、私を生涯苦しめる一つの要因になるとは、
思いもしませんでした。
柿の巨木のソソリタツすぐ近くで、1千年以上も昔から存在する?広大な畑を耕していた
モンペ姿の祖母が巨大な体躯を生かして、大股で突進してくるのです。
姉さんかぶりの手拭いが吹っ飛ぶほどの勢いでした。
≪巨大な神様が、私を救いに来たのはこれが、初回。その後も何度も現れます≫
運がよかったのは、九州一のばあちゃんが、私のすぐそばにいたからでした。
ばあちゃんは、私をこよなく愛し、私がこの世に飛び出した頃から溺愛したのでした。
血がつながっていないのに!赤の他人のはずなのに。
そんなことよりも、この世に光を求めて現れた赤子が、言葉にはできないほど
かわいかったのです。
これがトラウマ。
それから何度も押し寄せる、私の危機。
そのたびに、≪セイばあちゃん≫が面前に現れ、救ってくれたのは、数え切れません。
それは、私もばあちゃんが好きで、四六時中、ふたりは一緒だったから。
常に私は祖母の視界に入っていた。いや、入れられていた。祖母のレンズのなかに
保護されていたのだ。
やんちゃもやんちゃ。しかし、やんちゃな子供を通り越して、年上の上級生はおろか、
大人をも乗り越えようともがく私が、
≪セイばあちゃん≫には、よけい可愛い。危なっかしくてなりませんでした。
祖母に庇護されて、ぬくぬくと育ったのは間違いない。
「この子は、おいが守る。一生かけて守ってみせる。
7番目に産み落とされた三男坊。最初の子は雪のような女子として生まれたばってん、
なにかの病で間もなくあの世に逝ってしもうた。
子だくさんで、なんと7番目にうまれてしまった3男坊、克樹。
両親は、二人とも先生じゃけん、仕事はあ、忙しかけん、克樹が生まれたときは、
この家に家族が11人!!まあるくて、鈍色に光る食卓はフル回転。一部と二部に分かれて
食事をとったとばい。ばってん、ほんなごつ、静かと。にぎやかなはずが、大将が怖くて
黙って食べるのを強要されていた。
この強権な父親にも私の人生が強烈に影を落とす。貧乏人の子沢山。
しかし、当時、両親が教師。周囲には、大学どころか、高校も行けない子供ばかり。
克樹の学年は135人も生まれたが、その内、中学を出て即座に集団就職する者、
地元に残り、猫の額ほどしかない田畑をもつ農家を継ぐ者、
漁船の乗組員の見習いになる者が殆どだった。
どの家庭も貧しかった。みんな一様に貧しかった。
しかし、みんな明るかった。当時は。
幼少のころ、プロ野球が全盛期。あの長嶋が輝いていた。
鉄腕アトム、ビリーパック、そして赤胴鈴之助、月光仮面。
春の陽気に包まれた一日。待ちに待った春休みが来た。
私の家の近くの、日当たりのとてもいい大きな農家の縁側に、僕らはひしめき合って並んで座り、
ぽかぽかとなんとも形容しがたい、懐かしい、とてもいい匂い、
よく乾燥した≪わらぼっくい≫が発するような陽だまりの、とても暖かい匂いに包まれて過ごした。
日が暮れるまで。日が長くなると、こんどは、我が家の北側にある広大な田んぼで、ソフトボールや
野球をして遊んだ。
豊臣秀吉が朝鮮征伐!?に打って出たため、我が家の西側の勝雄岳を整備し、強大な権力と
潤沢な資金にものを言わせ、1600年代の初めとしては、おそらく東洋一の規模を誇る壮大な
名護屋城が建設された。加藤清正が設計したとされる名城、名護屋城。
これも私の脳細胞の中に消し難いイメージが宿り、中学生で日本文学全集、高校生で世界文学全集を
手当たり次第に読みまくった。
≪罪と罰≫に感銘。
高校3年の時、文芸部に所属し、≪ほのお≫という同人誌(文集)に≪垢で汚れた物語≫を発表。
粗削りだったが、田舎では反響をよんだ。一高校生が、ここまで描くか?
自分のルーツを探すためわずかな歴史書、古文書の類を漁った。
東大を卒業し、高級官僚になり、ゆくゆくはこの国の総理大臣を極め、
貧困層を豊かにする政策を作成、実行する。
また世界の外交にも打って出て、核戦争に繋がる米ソの軍拡競争に
ストップをかける。絶滅寸前の地球上のすべての生き物を救う。
そうして、死ぬ前に、世界の階級闘争をもたらしてきた、人類の卑しい欲望、野心を、
消滅させるある提案を残す。
それは、ある条約を国連安保理に提訴することによって完結する。
そのはずだった。
私は、妄想のような夢を抱いた自分を恥じた。嘆いた。なんと愚かな自分。
生きていく資格もない。
資産はない。地盤もない。人脈もない。東大法学部を主席で卒業するという、
天賦の才のかけらもない。
もう、破天荒な夢をかたるのをやめよう。私は、何もできないのだ。
祖母ひとり、救えなかった。
あれほど私を大事に育て、身の危険を冒してまで、私を守り通してくれた祖母。
私に冷たくされ、わびしい人生を終えた≪セイおばあちゃん≫。
申し訳ありません。
あなたになつかないことで、あなたを苦しめた私。
人生の半分をかけた子に、最後はあえなく罵られ、嫌われてしまうなんて。
許されない。
決して私の罪は赦されない・・・。
祖母の墓に行って、罪を償わないといけない。
私には残された時間はあまりない。
ごめんね、≪セイおばあちゃん≫
冷たくして、本当にごめん。
どんなにお詫びしても、かないません。
私があの世に行ったら、真っ先にあなたを探し、ひざまずき、許しを請います。

   ***********

幼少から、東大、東大と騒いでいた愚かな私。
しかし、ある日、突然、受験勉強をする意味がなくなってしまった。
晴天の霹靂だった・・・。
大学受験の前年、私の父親が部下の横領が発覚。
(生徒の修学旅行の積立金を横領し、酒と女に浪費してしまった。
一家は離散し、兄と妹は大阪で大喧嘩、泣いて逃げ出した妹は、電車に轢かれて即死。
この娘は、とてもきれいで、私にほのかな好意を抱いていたという。
それも彼女が死んだあと、旧友から教えてもらったのだ・・・。
とても悲しかった・・・。涙は止まらず、気が狂いそうだった。
しかし、人生の疾風怒濤は、ここから始まるのだ。
とても信じられない事件が連続して発生し始める。
その根拠は、またしても父親だった。
退職金を食いつぶし、金もないのに、子供を3人も東京の大学に入れるなんて…。
ひどいのは、長男に言われるがまま、二階を洋間に改造。
これで虎の子の減額された退職金350万円は、跡形もなく消失・・・。
私と私の家族の歯車がきしみだした。
決定的なダメージ。
それは、1千年以上も前から存在していた先祖の墓が、佐賀県の政策で国定公園の整備の目的で
破壊され、暴かれ、大型観光バスが何台も止まるアスファルトの駐車場となってしまったことだ。
池之端の集落の住民は、最初は戸惑ったが、一戸あたり、補償金を60万円もらえるというので、
色めき立った。当時の60万円は大変な金額。
貧乏だったお百姓さん達は、みんな喜んで、あたら、先祖代々の墓地を、
周囲の土地も含めて手放してしまった。
そうして弘法大師の訪れた小屋根もこぎれいに建て替えられ、それと並んで玄界灘を一望できる高台に
池之端25軒?の納骨堂が完成。納骨堂の中央に松永家の先祖代々の納骨がなされ、位牌が並べられた。
その昔、弘法大師が名護屋の地を訪れ、寝泊りした茅屋に、亡き私の父が筆書きした村人一同の氏名が
ヒノキの一枚板に整然と並んでいる。つまり、国、県、町の施策がどうあれ、墓を暴いた張本人は
私の亡父となってしまった。
ここから、恐ろしいことが始まる。
私の家はもとより、先祖の墓地を売って小金を手にした村民に魑魅魍魎が襲い掛かってくる。
誰にも、そんな不条理が発生するなんて想像だにしなかった。
慙愧に耐えない。憎んでも憎んでもどうにもならない。
事の始まりは、あの中年の教師の自堕落な生活。それを監督できなかったお人よしの私の父。
そんな酔っぱらいのダメ教師の不始末=公金横領をなぜ、私たちの父親が責任を取らされて
馘首になってしまうのか?不条理ではないか?いまだに私は、悔しくてならない。
はらわたが煮えくり返る。
怨念は、長い間、私を苦しめ続ける。どうしたら、その悪夢から私は救われるのか?
今でもその時の教師の顔が忘れられない。憎んでも憎み切れない。
この綱領事件で、私の父は、責任を取らされ、わずか51歳で首になった。
51歳で失職。収入が途絶えるのだ、家族が10人もいるのに!
続く

。ここで、私は、三島由紀夫の虚像に遭遇。大江健三郎の
その才能に叩きのめされる。(とても彼らのような天才たちにはかなわない)
そのイメージはいやでも膨らみ、母校の図書館で偶然見出した、≪天才と狂人の間≫というタイトルの伝記の中で
島田清次郎それを小説にまとめ、映画化し、自宅の目前にそびえて
いただろう天守閣
幸せというものは、こういう雰囲気、空気が醸し出す、平和な
なんの穢れもない、なんの野心もない、本当に楽しく毎日を過ごしていた。


私たちは、ぼろぼろになった分厚い「少年画報」や「少年サンデー」などの月刊誌を回し読みし、
私の家の近くの、日当たりのとてもいい農家の縁側に、僕らはひしめき合って並んで座り、
ぽかぽかとなんとも形容しがたい、懐かしい、とてもいい匂い、
よく乾燥した≪くりぼっくい?に包まれて、
本当に楽しく毎日を過ごしていた。

だから、九州の西北端、佐賀県東松浦郡鎮西町名護屋に階級闘争は起こりようがなかった。金持ちはごくわずか。≪両班(やんばん)≫と読む、
昔からの漁船団の当主に生まれた子は

3南坊の克樹をみる余裕はまったくなかと。
海におぼれそうになったり、突進してくる去勢牛の下敷きなった時も

か細い一本のクモの糸ならぬ、家族の紡ぎだす一本の貴重な愛のピアノ線!!
につかまり、なんとか細々と生きていますよ!
しっかりと地面に足をつけて・・・というか、4年前の脳梗塞の後遺症で、
私は大地にしっかり根を生やして、立ち続けることができなくなっていた。(おそらく、物理学者に
笑われるでしょうが、当時の私には、重力も引力も、あまり感知できなくなっていた…。
文字通り地に足がついていず、まるで空中浮遊を再び体現。
65キロあった体重が、今は40キロそこそこ。風船みたいなものです。
外観からみたら中肉中背の初老の男なのですが、いかんせん、体重が軽すぎるので、ふんばりが
ききません。風が吹けば桶屋が儲かる、のではなくて、微風が吹けば、ふらふらと、まるで奴だこみたいな
揺れ方で街路を歩くのです。滑稽を通り越して、他人から見たら、
「おい、あんた、いったい何しとるねん?危ないやないか。往来のど真ん中で、
よたよたと、ふらつくなんて!車にでも引かれたらどうするねん!!」とどやされたはずです。


恐ろしい目に何度も会い、66歳になってから、生きるということが、
生存し続ける、ということが、健常者には、ごくなんでもない日常の事
あれからいろんなことがありました。
山手線のある駅のホームでラッシュがどんなものか、
を忘れていた要支援の私は、
うかつにも滑り込んできた超満員の電車から飛び出してきた乗客の一人に
激突、はずみでホームに転倒した!!
1番目にドアから飛び出してきた中年の男は、
そんな私に目もくれず、一目散に直前の階段を3段跳びで駆け抜けていった。
間もなくわかったことだが、私が山手線内回り(?)の電車を待って
寒さに震えながら立っていたホームは、実は
改札に出る階段に最も近く、身体の不自由な人間にとっては、
死の淵に一番近い、最悪の危険な場所であった。

posted by 悪を切る父ちゃん at 08:12| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする