2013年04月25日

往年の大スター、宝田明さんと遭遇して

往年の大スター、
宝田明さんと成田空港で偶然、出合いました。
10代の頃から、もうずっと宝田明さんのファンだったので、
すこぶる興奮しました。
その時間、空港のロビーは大勢の旅行客でごった返していましたが、
何故か、宝田明さんが数人の関係者と談笑されている所だけが
スポットライトが当たっているかのように、とても明るいのです。
オーラがたっぷりと出ているというか、
男の色気と言いますか、もう75歳を過ぎた男優なのに
私より一回りもお年寄りなのに、とても若々しいのです。
参りました。
私が書いてもらった宝田明さんのサインは、
【 飛翔 】でした。
成田国際空港と私のライフワークと合わせて短時間で
書かれた筆跡は、黒々と圧倒的でした。
posted by 悪を切る父ちゃん at 03:51| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2013年04月23日

4月23日、こんな晴れ渡った気持ちのいい日は・・・

今日は、久しぶりに快晴。
雲は一片もない。
大きく深呼吸をして街に繰り出す。
まず京成佐倉駅前に出る。愛車フィットは、もう10年以上も乗り回している。
あちこちガタガタだが、運転に慣れているので手放そうとは思わない。
この車は前輪駆動のため、坂の多いわが町、佐倉市にはもってこいなのだ。
ただ窓ガラスが、かたかた鳴るのは、いささか残念。どうしても、新車に目が行く。
ホンダのNBOXがいい。軽自動車なのに小型車より内部が広いし、車高も高い。
シートは最高。シートの組み合わせは限りなく、スライドドアに至っては、
全自動で音もなくすべるように動く。音響システムも最高。運転も楽。
ところが、その価格。びっくりした。今、乗っている小型車の新車より数十万円も高い。
オプションを全部つけたためだと分かったが、あまりにも高い。
ディーラーの引き留めるのを振り払って、私は、NBOXを買うのを諦めて帰途につく。

佐倉駅前の坂道をゆるゆると上がり、市立美術館を横目に走り、市立図書館へ行く。
村上春樹の『1984』三冊を借り出す。彼の人気があまりにも絶大のため、
申し込んで半年も過ぎてからようやく自分の番が来たのだ。
私は、村上春樹NO『1984』のことなど,綺麗に忘れていた。
佐倉市立図書館のカウンターで若い女性の司書から,
村上春樹の『1984』3冊を出された時,嬉しいというより、気が重くなった。
この大部の3冊の本が、ずしりと重い。
病み上がりの私には、この本の重さは、苦痛だった。
3冊の石みたいに重い本を紙袋に入れ,佐倉市立図書館を出て、国道296号を歩き、
愛車を停めているコンビニのローソンの駐車場まで優に片道20分はかかった。
病み上がりの私には本当に重荷だった。
重い脚を引きずりながら,ふっと思った。
村上春樹は、自分が書きたいだけ書き,その本を読んだり金を払ったり、
持ち運ぶのに四苦八苦する障害者のことなど、少しも考えちゃいないのだろう。
こんな辛い苦しい思いをしてまで、村上春樹の本を借り出した私が浅はか。
というか、今更,図書館へこの大部の重い本を返却に行くにも、
また20分も歩かなければならない。
冗談ではない。自分自身が情けなくなった。悲しくてやりきれなくなってきた。
そうだ、この本はどこぞに忘れてこよう!
当たりを見回したが,今日は天気がいいせいか,
国道196号,旧佐倉街道は,大勢の老夫婦が散歩したり,デートするカップルがいちゃついたり,
本を置き忘れる適当な場所がなかった。

そんなことより、脳梗塞を患った私には、散歩が一番。
自宅に戻ったら、二階にある書斎の,机の上に長い間置き忘れていた,
黒いバッグのなかの書類の処理にまず手をかける。
書斎全体の片付けもやる。床の掃除,窓ガラスを拭いたり。やたら忙しい。
それは、『5月になったら娘が試験勉強を始めるので、書斎を明け渡してね』と
家族全部が私に迫るからだ。
ああ、この家は,私が35年以上も、少ない給与の中から少しずつ払い続け、
まだ元金が数百万円も残っているというのに!
なにせ、家族のために増築を繰り返し、まるで気が狂ったみたいに借金しまくり、
気が付くと住宅ローンにがんじがらめ。
自縄自縛とはこのことだ。涙が出てくる・・・。

それに,早く家に帰って、あすの仕事の準備をしないと。
明朝は5時に起きないと、会社に間に合わないのだ。
まず、持ち物の点検とそのセットをやり,バッグとリュックに詰め込む。
ひとつでも忘れると、やばいのだ。すべて完璧でないと、私は、浮足立つ癖があるのだ。
名札、成田空港の検問を通過するためのIDカード、免許証、ロッカーキー、家の鍵。
それから携帯電話と車のキー。
それにすごい汗っかきなので、下着を何枚もリュックに詰め込む。
これが結構重い。【昔から、私は、ペンより重いものを持ったことがない!】
なんて、豪語していたのに。
それは、私が少年時代からある意味で知能犯であり、少年ギャング団の黒幕で、
しかも,親分肌だったためにか、ランドセルも上履き入れも、
すべて部下が持ってくれたのだ。
本当に。
よく警察に捕まえられなかったものだ。
当時は、すべてが私の思い通りに事が運んだ。本当に、いい時代だった。
ただし、私は法に触れることは一切しなかった。部下にもそれは厳しくしつけた。
他人の金やものを盗んだやつがいたとする。
私は100人を超える部下達に、犯人を探させた。
そして捕まえた犯人に、盗んだものを元の持ち主にすべて返却させた。
そうして、二度と犯罪を起こさないよう,悪いことをしないよう、年上の少年でも
こんこんと諭した。私設警察のような気持だった。
それでも,再び,犯罪を犯した者が出れば,警察よりも,
唐津市の虹ノ松原にある施設に連れてゆき、親の承諾をもらって、その施設に入院させた。
実は、親もその子に手を焼いていたのだ。だから、親は、私に感謝した。
その施設は、泣く子も黙る、有名な施設だった。鑑別所や少年院より怖い。
そこは刑期なんかない。
一旦入院すると、よほどのことがない限り、生きて娑婆へ帰っては来れなかった。
彼のひん曲がった心身を、その道のプロが徹底的に叩き上げるのだ。
こわい世界だ。逃げるところがない,絶対の密室。
精神病院の独房と似ていた。
大勢の部下は、そのことを知ると震えあがった。
私のグループは、悪いことは一切しなかった。どちらかと言えば、弱い者の味方だった。
私は、当時、知能が飛び切り高く、少年法や刑法を独学で勉強し、ある程度マスターしていた。
少年法が、私たちを守っていた。
当時、私は、誰にも侵されない、自分の王国を造っていた。今思えば、信じられない世界だった。
まるで、神がかりだった。大人も子供も、先生も警察も、誰一人、私の世界を触れることが出来なかった。
いわんや、畏れ多くて、壊すなんて、夢にも思わなかっただろう。
目に見えない何かに、この子は、しっかりと守られている。
下手に触ると、その手は腐ってしまうかもしれない。
その世界は、見えないバリアにすべてが蔽われていて、迂闊に触れると、神の手にかかり、
取り返しのつかないことになる。
と言うより、この子は、まぎれもない郷土の宝。大切に守っていかなければ、
先祖に申し訳がない。そういう噂が、村の長老達から密かに広がっていた。
だから、私は、東松浦半島に住み続ける限り、すべての住民達から庇護されていたのだ。
私1人が崇高なベールに包まれていたり,畏れられていたバリアの伝説。
その夢のような伝説は,私が中学校2年の時、思いもよらぬ事件が起きて瓦解し,
あっというまに雲散霧消してしまった。そして地に落ちた。そこは地獄と言えた。
父親が,中学の校長の頃。
理由は不明だったが,大阪から家族連れで転勤してきたアル中の上,
ひどいどもりの中年の先生がいた。
そしてこの馬鹿な先生は,公費(中学生150人分の修学旅行代金)を使い込み,
ギャンブルと女と酒に溺れていたことが発覚した。
父はこの件をもみ消さず,なんとか,この先生を更生させようとしたらしい。
しかし,これが裏目に出た。情なんかかけず,彼を警察に突き出せばよかったのだ。
父の祖父のころから村の派閥争いで敵対していた一派の町長から,
この隠蔽を追及された。
父がかけた温情を逆手にとった敵に,巧みに突っ込まれたのだった。
あたかも父がアル中の先生と共謀し,隠そうとしたかのように仕組まれ,
そして
地元警察とグルになっていた町長派閥に一方的に追い詰められた。
これを好機に,MM家をどん底に突き落としてやれ。
そんな策略に父は,うまく引っかかったのだ。
以前から町長一派に睨まれていた父は,
監督責任を問われ,中学の校長の職を追われた。
そして教育委員という無給の身に落ちた。
いわば町で5本の高給取りだった父は,町長一派の策略で一晩で無職の人となってしまった。
閑話休題。
子供7人に加え,祖母,両親,合わせて10人の大家族を養っていた家父長こと
私の父は,突然,毎月の収入が途絶えた。
パニックに陥った母を,父は『こんな飯が食えるか!』と毎日のように怒鳴った。
監督責任を取らされ,およそ半額の350万円となったわずかな退職金を頼りに
私たちは,細々と生活していかなければならなくなった。
同時に,威厳のあった父の後ろ盾がなくなると,
私の威光・栄光は地に落ち,足を引っ張りどん底へ蹴散らす輩が現れ始めた。
私は,なんのことはない,虎の威を借る,小さな,非力なキツネだったのだ・・・。

これから悲劇が綿々と続いていくことになるとは
誰も思いもしなかった・・・。

父が中学の校長を首になった事件が発端となり、私は,私自身で出自を解明しようと企てた。
裕福だった家が,一夜にして貧乏になったのだ。
兄姉妹は,みんなパニックに陥った。
進学も就職も道は閉ざされそうになった。

何故だ?なぜ,私の家だけが苦しむのだ?私は我が家のルーツを捜すことになる…。
(いずれ謎が解ける)そう思った。なにか恐ろしい呪いが,わが家にかかっているに違いない。
その謎を解き,呪いを解いていくのが私に課せられた使命と思うようになった。

当時、昭和42年、私は国立大学も現役で合格できる成績を残していたが、
進学するには先立つものがなかった。
二人の兄が東京の予備校に通っていて,その後、
東京の大学へ進んだため、我が家の家計は,火の車。余裕はまったくなかった。
無職になってしまった父に学費を出してくれとは言えず、私は、
幼いころからの夢,東京大学への進学を諦め、高卒で就職することにした。
私は,ある都市銀行に内定した。
もうどうでもいいと思い,高校の図書館で片っ端から蔵書を漁った。
受験勉強をやめると,なんだかせいせいした。
名護屋城址公園を散策し,波戸岬で海水浴し,東唐津駅から筑肥線に乗り,
鬱蒼と茂る虹の松原を経由して,福岡市まで足を延ばした。
博多の繁華街を遊びまわろうとしたが,
金がないので,しょうがなく,昭和バスの特急を使い,夕暮れの唐津へ
戻った。
そこで運命の出会い。
ある女性(女子高校生)を好きになってしまった・・・。
唐津西高校の文化祭でスレンダーな彼女と仲良くなり,体育祭では
カモシカのような走り方に驚いた・・・。
彼女は私に話した。
『たとえ,貧しくても,気力があれば,働いてでも,大学へ進学すべきよ!
そうして,あなたがやりたい文学を勉強するのよ!そこでベストを尽くすこと!
必ず道は開ける。そう思います・・・。』
そう言って励ましてくれた。
二人は唐津の西の浜を,何時間も話し合った。青春だった・・・。
下宿へ帰り,様々なことを考えた。
一晩眠れなかった。
翌朝,西の浜に出て,玄界灘の水平線から上がってくる朝日に胸を打たれた。
勇気が出てきた。
彼女のためにも,東京の大学へ行こう!長い間,受験勉強をやめていたので,
東大は無理。早稲田か慶応なら受かるだろう。
翌朝,唐津東高校へ胸を張って登校。
その日も,
今日のような素晴らしい雲ひとつない,快晴だった・・・。
大好きな国語の授業が始まった。
授業が終わると森永先生が『進学するには,奨学金を取ればいい』と話しかけてきた。
しばらくして,恩師の国語の森永先生の強い勧めで、国の特別奨学金を受験した。
忘れていたころだった。
教官室から走り出してきたクラスの親友が興奮していた。
『○○君,君の名前が張り出してあったよ!東高から君一人,特別奨学金に合格したんだよ!』

しかし、もう憧れの東京大学に合格する学力はなかった。浪人するにも資金がなかった。
私と妹は気が抜けてしまていた。まとまった資金がないと、大学どころか,
たいしたことは何もできない。この世はどんなに生き辛いか,先を案じていた。
もうどんなに勉強しても無駄だと考えていた。世のため,人のためなんかではない。
必要な金のため,働かなくてはならない。それは当然のこと。
それより、父親が他人の罪を押し付けられ、その結果、私たちは,金もコネも何もない子供となってしまった。
前途を塞がれた私と妹の将来は、いったい誰が守ってくれるのだ?誰もいない。
絶望感に打ちひしがれていた私は,
再び,唐津東高校の図書館に籠り,あらゆる本を乱読した。
もう受験勉強はしなくて良いのだ。
難解な物理や数学Ⅲなど,医学部を志望しないのなら,全く勉強する必要はない。
文科系の大学など目をつぶっても合格できる。
卒業したら、私は、三和銀行の銀行員の卵。普通に働けば給料は出るし,
高卒だから出世は関係ない。無理して働くこともない。のんびりやろう。
人生なんて,もうどうでもいいや。どうにでもなれ、そう思っていた。
私は、世の中の仕組みを壊さないと、今後、ずっとこの運命に絶対に抗えないだろうと
心の奥で感じ始めていた。それは、次第に確信に変わっていった。

ある秋の日、私は一冊の本に遭遇し、恐れ戦いた。
その本は、【松浦党と魏志の倭人伝】という書物で、松浦党とわが先祖の関係が、
地図入りで詳細に委細してあった。
魏志倭人伝のあるページに、東松浦半島の地図があり、そのリアス式の数多い集落(漁村)に
それぞれ、松浦党の棟梁の名前がついていた。
確かに、名古屋、呼子、子友、大友、打上、切子(きりご)、有浦、唐房などが記載してあった。
そして、
同じ地図上に、私は,MMという我が家の名字を発見!私は全身に熱いものを覚えた。
何かがメラメラと燃え上がった。
しかし,この本を数ページ読み進むと,意外な結果に出くわしてしまった。
それらの地名が掲載されている同じ地図に,確かにわが家と同じ苗字があったのに,
それから、5百年から1千年経った年代から,現代まで(昭和30年代),
上記の地名はすべて残っているのに、
MMというわが家の名字だけが消えていたのだ。

驚くより,悄然としてしまった。
わが家の名は,消されたのか?
何故だろう?
なぜ、私の家の苗字だけが消されてしまったのか?
苗字が当時の松浦党の一棟梁の苗字だとすれば,松浦党の中で権力争いが起きて
根絶やしにされてしまったのだろうか?
なぜ、1000年後、私の先祖は、地上から消えたのだろう?
疑問点がふつふつと湧き上がってきた。

ここに、私は、ある仮説を打ち立てた。

鎌倉時代、二度にわたる元寇で虐殺された先祖がいたに違いない。
元軍の大軍に対峙して勇敢に戦い、一族すべてを失った松浦党のある棟梁が実在したのだ!
そして、元の大軍が上陸した地(唐津,名護屋,呼子,鷹島,伊万里,博多・・・)から遥か遠い,
ある場所にいて一命を助かった私の祖先がいたのだ。
1,000年後、地名は消されたが、名字は復活した。戦闘で偶然にも生き残った一人の男の子、
その人が、私の先祖だ!

謎は多く、資料も少なく、私は文字通り,悪戦苦闘しながら,私のルーツを探し続けた・・・。

62歳で脳梗塞で緊急入院した大学病院の脳外科のベッドの上で,
指一本で,私は遺作と思いながら一つ小説を書いた。
それが,私の小説,【元寇と松浦党、最後の聖戦】。
ここから始まった。

高校時代から,およそ50年が経とうとしている。
半世紀が過ぎて、私は脳梗塞で倒れ、大学病院の脳外科に入院し、そのベッドの上で、
私は毎晩夢を見た。
死に損なった私の夢枕に、その松浦党の勇者が現れるのだ。
私は、一命は助かったものの、右半身に麻痺が残り、箸もペンも握れず、歩くこともままならず、
言葉も忘れてしまった。点滴だけが、私の命綱だった。

眠れない私を,美しい看護婦が優しくなだめてくれた。
『その小説,あなたが書き上げたら,最初に私に読ませて頂戴』
私は、なかなか寝つけなかった。
毎晩のように眠りについて間もなく、先祖、松浦党の戦士たちが夢枕に現れる。
戦士たちは叫ぶ。
「俺たちのことを書け! 俺たち松浦党は、数百人の戦士で5万,10万人という元の大軍と戦い、
敢え無くも全滅した。無念でならない。我々の怨念を書け!われらの獅子奮迅の戦いぶりを書け!
あわよくば,映画にしろ!大スぺクタルだ!母国を襲った何百倍もの数の野蛮な元軍を、
いかに殲滅できたか?信じられるか?
松浦党の子孫よ、ここでヒントをやろう。
わが子孫よ、元軍が攻めてくる以前に、恐らく西暦600年から700年ごろ、
わが国でも天文台を造った天才がいた。
今年の新聞記事に載っただろう。
検索すればよい。

つまり、神風が吹いて、元軍の数千隻の軍艦が一瞬にして消えたわけではない。
一度目は、確かに東シナ海や玄海灘が荒れ狂う時期だ。急造の船は頑丈にできてはいない。
多くが痛み,壊れただろう。
まして、天候の予測ができるわけもなく、海戦に慣れていない寄せ集めだ。
脅されて連れてこられた元の奴隷兵が、歴戦の日本の強者、一騎当千の鎌倉武士に勝てるわけがない。
一度目の元軍の襲来は、日本の海岸の守りと武士達の装備、戦闘法などの下見に来たという定説がある。
元軍の資料を取り寄せないと何とも言えないが、私には、あまり時間がない。
つまり、想像力で、埋めて行けばいいのだ。
知らないことは、書かない。
わからないことも書かない。

1264年かな、第一次元寇は?
その時、わがMM党は、存分に戦い、空しく、棟梁ほか、すべての戦士に、老若男女、
つまり女、子どもまで、すべて虐殺されたのだ。
わが棟梁の子どもか孫が、たった一人行方不明になったほかは、すべて討ち死にした。
その為、血筋が絶えたのだ。

しかし、神は、見ていた。
MM党の棟梁の末っ子Kが生き残っていたのだ…。
Kは、父も母も兄弟も親戚もすべて失った。
村に生き残ったのは、Kだけだった。Kは、父や兄たちが元の大軍と血みどろになって戦っている頃、
大鷹に跨って、遥か阿蘇まで飛び,夢中になって飛行訓練をしていた。
広大な阿蘇平原の周りで,Kは、一人で遊んでいたのだ。

KはMM党の本拠地、名護屋港に戻って唖然とした。
一家は全滅していた。両親も、兄や姉達、妹までも惨殺されていた。
元軍の残酷な殺し方は噂には聞いていたが、あまりにも残酷だった。
Kは、死体を片付けながら、吐きながら、後悔するばかりだった。
涙が枯れるまで泣いても、無念さは消えなかった。俺がいれば、こんなことには
ならなかったのに…。
Kは、松浦党の中でも抜群の運動神経と筋力を持ち、向かうところ、敵はいなかった。
年は若いが、松浦党数千の戦士の中でも、一、二を争う剛の者だ。
一騎当千の武者と言うのは、Kのことをいうのだろう。
しかし、いざと言うとき、何の役にも立てなかった。
Kは、慙愧の念に耐えられなかった。
こうなったら、鎌倉殿からの援軍は無用。
今度、元軍がきやがったら、俺一人で殲滅してやる!
Kは、滝の観音様に千日打たれる荒行を始めた。
千日の間、滝に打たれれば、ある能力が身に着くと言われる。
ある能力とは?誰にもわからない。修行を積んだ者だけに悟りが自然と浮かぶという。
他言は無用。
Kは、一人で、10万人の鬼畜元軍と戦うために考えた。
地球上には、ある種の能力においては,人間より優れている鳥や魚や鯨や、猛獣がいる。
そうだ、彼らを味方にすればいいのだ。
生きとし生けるもの、すべての生き物の心をつかめば鬼に金棒。千人力を発揮できる。
そのため、彼らの言葉を覚えるべく、Kは、まず、脊振山系の天山の近くにある、
地元の名所の【滝の観音】へ修行に行った。絶食しながら、倒れるまで滝に打たれるのだ。
そうして、その荒行は、百日が過ぎた。
しかし、何も変わらなかった。Kが、仙人のような風貌に変わっただけで、
何の奇跡も起きなかった。
Kは、滝籠りをさらに続けた。
7年が過ぎたある日、あの元軍が15万の大軍を集め、再び日本を襲う準備をしているという情報が、
Kの耳に入った。スパイ役の松浦党の残党の子分から、話を聞いたその時だった。
急に天地が揺れ動いた。Kの眼下の玄海灘が割れ始めた。
その割れ目から、千年もの間、眠り続けていた数千の龍が、
天へ舞い上がったのだ。
名護屋の勝男岳の頂上で般若心経を唱え続けていたKの目の前で、海が割れた。
そうしたある日突然、Kは、地球上の生き物を自在に動かせる能力をマスターしたのだ!
たった一人で、10万人の元軍と戦うことがいったい可能なのか?

Kが味方にする海の生き物は、まず第一に、鯨より強いといわれる、鯱。
因幡のうさぎの話も参考にした。
玄界灘を渡るために、いるかの大群を海面に浮かせ,2列に並べるなど。
海に浮いている木端のような元の軍船など、巨大な鯱にとっては,一撃で沈没だろう。
しかも、奴らは、敵が海底からも突撃してくるとは考えもしない。
歯の鋭くとがった巨大な戦闘カジキマグロが、数百匹も集まると、壮観だ。
2,3回の総攻撃で100隻単位の元軍の軍船を沈めてしまう。
戦闘カジキマグロが,急造の張り子のような元軍の船腹に穴を穿つのは極めて簡単。
鯨を使うともっとすごい。
圧巻は,シロナガス鯨の腹の中に、無数の鯱が潜んでいたら、どうなる?
これは、トロイの木馬をヒントにした。
さらに空からも空挺師団のお出ましだ。
爆弾を抱いた鷲や鷹は、天空から元軍の船を爆撃する。
その爆弾は、7年前に、元軍が使用。多くの松浦党の戦士,Kの父たちを爆殺した。
Kはそれを解析して、それより、高性能の爆薬を造るのに成功。
元の旗艦を集中して攻めるのに大いに役立った。
陸上の猛獣たちはもっと残酷だ。多数の飢えた猛禽類が,元軍の船に放たれると、
あっという間に元軍の兵士を食い散らす。
それを見て,元軍の雇い兵たちは、慌てて海へ飛び込む。
しかし、そこには、飢えた鮫や鱶が、うじゃうじゃいるのだ。
かくして、たった一人のヒーローが、10万人の元軍と船を殲滅した。

こういう伝説があってもいいと思う。

自分の肉親や、兄姉妹たちが惨殺された現場を見て、
Kは、狂うほど自分を痛めた。なぜ、俺だけが助かったのだ?
何故、俺一人が、のうのうと生き残っているのだろう?
毎日のように自問自答するうち、kは、野蛮な元軍に対し、絶対の復讐を誓う。

元の騎馬軍団とわが松浦党と村上水軍の連合軍が戦ったら、
その海戦は、言わずもがなだったろう。
それに、潜水艦の役目の鮫や鱶,潜れば無敵だ。水上でも無敵。
そして鯨は空母となり,背中に多くの鷲や鷹を搭載。
巨大な鯱は戦艦か、駆逐艦。
戦闘カジキマグロは、深海から直角に元軍の艦船の腹を狙い,
急浮上。一発で食い破るのだ。獰猛に元の艦船を襲うはずだ。

鷲や鷹は、爆撃機。いくつもの爆弾を抱えて、空から急降下して、爆弾を元の
艦船に投下して大空へ帰還する。

虎やライオンは、もともと肉に飢えた野獣。
元の軍船の甲板に放たれると、元軍の兵士はパニックに陥り,
玄界灘に飛び込むしかないだろう。そこには人食い鮫と鱶の大軍が待ち伏せている。

私の【松浦党と元寇、最後の聖戦】

閑話休題。

私は、中学一年になり、全校一斉の知能テストが実施された。
快晴のとある朝。
中学へ通う私は、足元に広がる農家の牛の糞を避けながら、泥んこの県道を進んでいた。
上級生の中学2年生、3年生が、私に挨拶をしていく。気持ちはよかった。
それは、ひやかしや惧れからくる挨拶ではなく、私を畏敬し、尊敬する眼差しだった。
私は、3年生が解けない数学の問題を解いてやったりした。
すると、先輩たちは、驚き、感動し,「先生よりわかりやすい!」とお礼を言うのだ。
その頃、中一の私は、高校の数学にチャレンジしていた。それは、兄の勧めによる。
兄は言う。「すべては、早くやった者が、勝つ。常に人より先へ行くのだ。
2歩も3歩も先を行け。すべてに勝ったら、限りない未来がある」
ある晴れた日のことだった。
豊臣秀吉が加藤清正に命じて、短期間に造営させた、肥前の国の東松浦半島の突端、
名護屋城は、私の空想の宇宙だった。
秀吉が作らせた名護屋城本丸の天守閣の影が映る広大な池が、
現在は、『しろんかげ』と呼ばれ、楕円形の土手に囲まれた農業用水の池になっていた。
その土手を右手に見ながら徒歩で進む私は後ろから、肩を叩かれた。
振り返ると、担任の三原先生だった。
先生は、目玉を白黒させながら
「君はまぎれもない天才だ。100年に1人の天才。この前の知能テストで、
君は、なんと200をはるかに超えてしまった。グラフの上限を突破したため、
模造紙を継ぎ足さないと、君の高得点を書けなかったのだよ。
先生達の間でものすごい評判になっている。ちなみに、何人もの先生方が何度も
知能テストの問題と君の回答を調べたが、すべて完璧だった。
それで、唐津・東松浦郡市の教育委員会へ本件を報告したら、
『なにかの間違いでしょう』と呆れていた。そして
『もう一度調査するように』と言われた。
しかし,この噂を知った呼子中学や唐津一中の先生方などは、色めきたった。
『ついにわが唐津にも天才が生まれた!ノーベル賞も夢ではないぞん!』
興奮する先生が出た。

それから,およそ50年。半世紀が過ぎた。
63歳になった私は、文字通り、ただの人に変貌していた・・・。
夢はるか・・・こういう夢をよく見る。夢のまた夢。

娘の声がする。「お父さん、芥川賞とったわよ!」
(夢か・・・現実か)
目を覚まさない私を揺すって、また娘が言う。
「お父さん、芥川賞とったのよ!」
誰がとったの?
君か?芥川賞をとったのは?
私は何も発表もしていないので、ありえないし・・・。
どうやら、私は、夢を見ているらしい。いつからそんな夢を?
小学5年生からだろう。
当時、米ソ冷戦の最中で、ソ連のフルシチョフ首相は、キューバにミサイル基地を造ろうと
ソ連の艦隊を向かわせた。有名なキューバ危機だ。
冷静だったアメリカのケネディ大統領は、激高し,
フロリダ半島の沖合で、米軍の艦艇・空母等を集結、海上を封鎖した。
ソ連軍部は戦争も辞さない,とフルシチョフをさらに脅す。
ケネディは、最後まで、ソ連艦隊を阻んだ。
一触即発だった。
核戦争は目前だった。世界中が震撼した。もう終わりだ・・・。
小学5年生だった私は、地球の滅亡を憂い、米ソ超大国の大統領と首相に
核戦争の無意味なことを手紙に書き、田舎の郵便局から送りつけた。
小学校の横尾先生,後藤先生は『無駄だからよしたら?』と私を諭した。

世界中が見守る中、ソ連艦隊は、やっとのことで,踵を返し、母国ロシアへ帰って行った。
1人の小学生の手紙が功を奏したとは誰も思わないだろう。
しかし,実際に両首脳へ日本の小学生の手紙が届けられたのは間違いない。
それは,ソ連艦隊がロシアに戻った後だった。

まだ、あの夢の続きでも見ているのか?聞こえてくる。
現実を見ろよ。現実だよ、現実。厳しい現実が明日から来るぞ。
大変だぞ。人間の尊厳がかかっているから。
何だって?
まさに働くってことは、人間としての矜持は邪魔。
プライドでもなんでも投げ捨てて,馬鹿にならないと、やっていけないよ。
いいかい、ドストエフスキーが言ったが、
『人間の尊厳なくては、なにも語れない。しかし、現実。
すぐそこに近づいている現実。
夢物語を語っている場合じゃない』。
やるべきことは山ほどある。完璧を期せばねならない。
ええ?完璧なんか、馬鹿野郎だ!いいかい,手ぶらで会社に出勤しなよ。
かっこいいではないか?
頭の中に全部記憶している。
しかし、生身の人間だから、やるべきことが多い。
人のため,家族のため,私は,たしかに生きるのだ,
という思想をもって生きることは忘れないで。
さあ、少し休もうか…明日があるよ。

永遠に・・・こんないい日が続きますように。
今日のような素晴らしい日が明日も訪れますように・・・。
目が覚めても,覚めなくても,
こんな爽やかな日差しと清涼な微風に包まれますように・・・。





posted by 悪を切る父ちゃん at 15:07| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

中国四川省の大地震、ついに72時間のデッドラインを過ぎて・・・

決して甘く見ていたわけではないという、
中国当局の発表。
そうだろうか?
ちなみに2008年にも、マグニチュード8.0という
巨大地震に襲われた同地は
当時10万人以上の死者、行方不明者が出たという。
しかし、その後、耐震構造になった建築物は
共産党の地域本部の建物と軍、警察等の治安組織の建物、
党幹部とその家族、親せき、100万元以上の資産を持つ
富裕層の家と言うように
特権階級だけに政府援助資金がばらまかれて
庶民には
一戸あたり、日本円でわずか1千円だった。
従って、今回の大地震で、棲む家が、もろくも崩壊して
その下敷きになって死亡してしまった国民は数十万人に上るという。

16億とも17億ともいわれる中国。
確かに、地方や少数民族を切り捨てないと、中央集権、一党独裁、共産国家として
あの広大な国をひとつにまとめることは出来ないのかもしれない。

しかし、それでいいのだろうか?

チベットでの中国軍による大弾圧が、数百万の難民を生み出し、
ダライラマを国外に追いやった事件は、まだ解決してはいない。
数千発のミサイルと核弾頭で武装しているうえに、数百万人の民兵を抱え、
国連安全保障理事会では、拒否権をかざす超大国なのだ。
であるからこそ、わが日本は、正面から正々堂々と正論を構築し、相手が
中国であろうと、決して怯んではならない。
なんとしてでも、我が国は、地球上の平和を推し進める、困難極める道を
進んでいくほかに道はない。
それは、わが国が、天から与えられた使命のはずだ。
広島、長崎の悲惨な現実を忘れてはならない。
アメリカの、原爆投下による、日本人の一般市民の大量虐殺。
まだその禊は終わってはいない。
その蛮行は、千年たっても、決して許されることではないのだ。
posted by 悪を切る父ちゃん at 13:45| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2013年04月22日

ボストンマラソン爆破の衝撃

こんな残酷な話があるだろうか?

世界92カ国のアスリート達が夢にまで見た?
あのボストンマラソンのゴール前、
突然、
天を揺るがす轟音と共に二発の強烈な爆弾が爆発し、多数の死傷者が出た。
そのほとんどがボランティアだったというから
ああ、なんだか空しくて、悲しいね・・・。
大すきなボストンマラソンのお手伝いできたのに、
巻き添えで命を失ったり、体中に釘が刺さったり、大やけどで
身体に赤いケロイドが残って死ぬほどいたい思いをして
苦しむ若い女子・・・。

犯人を特定したアメリカ当局は、
縦断200発が飛び交う激しい銃撃戦の後、犯人一一人を
拘束、一人を射殺した。
この犯人の兄弟が
夢と希望を抱いてチェンチェンから移住してきたと分かって
唖然とした方は多かったのでは?
こんな無謀で残酷な仕打ちは
相手を
見てからやってくれよ!

posted by 悪を切る父ちゃん at 01:19| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2013年04月05日

日銀、あっと驚く政策発表。

数兆円単位でこの国の経済を動かす財政出動に
日銀が声を上げた。
これまで、過去の歴代の日銀総裁が出来なかった
一か八かの勝負に出た、黒川日銀総裁。
元通貨マフィアと呼ばれただけあって、
決断が速い。
あっという間に、東京株式市場は日経平均株価は大幅
上昇、対ドル円レートも円安になり、
経済界は、胸をなでおろした。
問題は、この後である。
40年先の満期の来る国債を、いったい誰が払えるのか?
金額だって半端じゃない。
いくらなんでも、少し危なっかしいと思いませんか?
黒川新総裁は、元名うての為替担当者を首にしたくらい、
ドラスチックで切れ者。
決断が速すぎるきらいがある。
posted by 悪を切る父ちゃん at 13:52| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2013年04月04日

北朝鮮、核ミサイル発射スタンバイ?

危なくなってきた。
あの北朝鮮が、アメリカに追い詰められて、
イラクと同じ運命になろうとしている。
金一族が軍部にそそのかされ、アメリカよりも強いと
思い込まされ、ついには、世界最強、最大の米軍相手に
一戦交えようとしている。
馬鹿な国だ。
数百万人の国民が実際に飢えているというのに、
北朝鮮は、数千億円の巨費をかけて、核ミサイルを開発し、敢えて強大な敵を作り
挙句の果ては、あっという間に報復され、自国の無実の国民、
数十万か数百万人が命を落とすような恐ろしい核戦争に突入しようとしている。
アメリカだけではない。
米軍基地のある横須賀、沖縄、三沢を核ミサイルの標的にしたと言う。
馬鹿な、そこには数百万人の日本人が犠牲になる恐れがあるというのに。
日本政府も、様子を見守るなんて言っている場合ではない。
もし、核ミサイルが、北朝鮮から発射されてしまうと、
その5,6分後には、日本海を越えわが国に命中する!



posted by 悪を切る父ちゃん at 17:41| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする