2011年12月25日

キムじょんいるが死んだ

ひどい話だ。
父親が独裁者として君臨した北朝鮮。
その子、金がまたまた独裁者として君臨。
そのまた子、つまり孫が再び
独裁者に祭り上げられようとしている。
こんな国が
日本のすぐそばにある。

ひどい話だ。

架空の物語ではない。
実際にある話だ。
親から孫まで三代にわたって
一国の民族の運命を翻弄とするとは
言語道断で
何も言うことはない。
ただただ
苦しんでいるかの国の貧しい人々の身の上を考えると
辛くて
たまらない。

それは
わが故郷が唐津であったがために、
生まれてこのかた、朝鮮半島のことを忘れたことはない。

わたしが
12歳の頃、今からちょうど50年も前。
故郷の小学校で、朝鮮人の女の子が
日本人の餓鬼どもに
石を
投げつけられ、
いじめられている場面に私は遭遇した。

私はその時、勇敢だった。

同級生や上級生を私は制しようとした。

それから思いもよらない、おぞましい、信じられない事件、事故が
わが身の上だけでなく、
私の両親、私の家族、わが兄弟姉妹、
わが家に
恐ろしいことが多発することになろうとは、
夢にも思わなかった。

当時、世界は米ソ冷戦の真っ最中で、
キューバ危機が勃発していた。

小学5年の私は、
ケネディが核ミサイルの発射ボタンを押すであろうと
悲観した。
ソ連のフルシチョフも応戦する準備に血眼になっていた。

いまや、世界は固唾をのんで、打ち震えるしかなかった。
米ソの単なる争いが、世界中の人々を巻き込んで
核爆弾でジェノサイドされようとしていた。

小学5年の私は、必死で祈った、

どうか、神様、ケネディもフルシチョフも赤ちゃんなのです。
駄々っ子が、核爆弾をもたされて、戦争ごっこを始めようとしているので、
とても危険です。
どうか、このふたりを正常な脳みそを持つ、正常な人間に戻してください。

私は、この願いを込めて、只管、
版画を掘り続けた。
ちょうど、学校の宿題に版画が出された所だったので、
担任の後藤先生に
『米ソの両巨頭よ、早まるな!
 ケネディよ、フルシチョフよ!
 人類は、お前たちに抹殺されようとしているのが
 わからないのか?
 もしも、お前たちが、核戦争を起こしたら、地球は溶け、人類は死に絶えよう。
 だから、頭を冷やして、よく考えろ!』
こんな文章をしたためて見せた。

名護屋小学校の担任だった後藤先生は、
ただ絶句した。

先生は、一言、遠くを見つめて呟いた。

『あなたは、いったい何者ですか?』


この版画事件といじめ事件は、実は、

私の
シュトルム
うんと
ドランクの世界の始まりだった・・・。


続く。


posted by 悪を切る父ちゃん at 11:08| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする